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考古 赤妻古墳出土刳抜式舟形石棺

赤妻古墳は、山口盆地の北縁に位置し(山口市赤妻町所在)、標高約20mの舌状丘陵先端部に立地している。
その所在は江戸末期にはすでに知られていたようで、天保6年(1835)の絵図に「小丸山」として図示されている。さらに明治10年(1877)の絵図にもその位置が円形で示されている。当時は、「吉光長者のすくも塚」などと称されていた。

明治30年(1897)3月と4月、墳丘の頂部から箱式石棺各1基が相次いで発掘され、神獣鏡1面·巴形銅器2個のほか、甲冑·鉄鏃·鉄刀·鉄鉾·鉄斧·有孔貝製品などが出土したと伝えられている。さらに明治41年(1908)8月、同じ墳頂部から本資料である舟形石棺が発掘された。棺内には、頭位を東に向けた人骨とともに、位至三公鏡1面·ホウ製内行花文鏡1面·捩文鏡1面のほか、硬玉製勾玉·瑪瑙製勾玉·瑪瑙製丸玉·ガラス製小玉·ガラス製切子玉·碧玉製管玉·鉄製針·櫛などが出土したと記録されている。墳丘はその後削平を受けてほとんど消滅した。

これら3基の石棺から出土した遺物の多くは散逸したが、銅鏡ほか一部は東京国立博物館と当館に保管。

昭和62年(1987)、63年(1988)に山口市教育委員会によって部分的な発掘調査が実施され、幅10.1m、深さ75cmの周濠の残存が明らかになり、円筒埴輪片が検出されている。古記録やこの調査結果によって、築造時の墳丘規模は直径約30~40m前後、高さ7m前後と推定され、県内では最大級の古墳であったことが判明した。

  • 画像:赤妻古墳出土刳抜式舟形石棺
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画像:赤妻古墳出土刳抜式舟形石棺
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画像:赤妻古墳出土刳抜式舟形石棺
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時代 古墳時代中期
サイズ 刳抜式の舟形石棺で、蓋と身からなる。蓋の側面に4箇所、身の足側端面に1箇所の縄掛突起をもつ。蓋は破損しており、一部を欠く。身の頭側端面には、縄掛突起を造りかけた痕跡が認められる。棺内には朱の痕跡をとどめている。石材は砂岩。全長231㎝、最大幅98㎝、全高61㎝

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