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歴史 大内義弘安堵状

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画像:大内義弘安堵状
資料名 2 大内義弘安堵状
年代 応永6年(1399)9月26日
作者等 大内義弘
員数 1通
品質・形状 竪紙
法量(mm) 321×464
解説  大内義弘が、極楽寺(現、下関市・日頼寺)に小比叡社領長門国得善保の管理や租税の徴収を行う権限を認めたもの。「沙弥」とは、剃髪・出家しても依然として俗事に携わる者のこと。義弘は4年前に足利義満に同調して出家して以降、官職名を記すべき公的な文書では「沙弥」を名乗っている。なお、義弘は3ヶ月後に幕府軍と戦って堺で戦死した(応永の乱)。

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