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歴史大内盛見書下

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画像:大内盛見書下
資料名 4 大内盛見書下
年代 応永24年(1417)7月16日
作者等 大内盛見
員数 1通
品質・形状 竪紙
法量(mm) 337×474
解説  大内盛見が、長門国阿川別符(現、下関市豊北町)にあった潮音寺を祈願所とし、天下安穏や家門繁昌の祈祷をするよう命じたもの。盛見は大内弘世の6男で、義弘の弟。義弘が応永の乱で戦死後に、幕府が支援した弟の弘茂らを破り、大内家を継いだ。幕府にその立場を認められてからは長期間在京し、幕府を支えた。当時は既に出家していたために、官職名を記すべき公的な文書では剃髪・出家しても依然として俗事に携わる者を意味する「沙弥」を名乗っている。

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