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展示案内

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 考古・歴史展示室

 考古部門は、縄文・弥生・古墳時代の出土品を展示しています。また、県埋蔵文化財センターと連携・協力をはかっています。歴史部門は、明治150年に向けて、「明治維新と長州藩」のテーマで館蔵の維新資料を順次展示してまいります。

考古展示室

はじめての考古学

 みなさんは「考古学」といえば、どのようなものを思い浮かべますか。とてもとっつきにくく、専門家や学者だけのものと思われていないでしょうか。 確かに遺跡(いせき)やそこから発掘された遺物(いぶつ)など残された「モノ」からいろいろな情報を引き出すには、ある程度の知識と経験が必要です。しかし、素朴な視点から「これはどのように使われたものかな?」と問いかけると、その知識がない人に対しても「モノ」は(全く)驚くほどおしゃべりになってくれることがあります。 今回の展示では、当館所蔵の考古資料から代表的な「モノ」を取り上げ、現時点でわかっていることを解説します。もしかすると、来館者の皆様に新たなメッセージを発する「モノ」に出会えるかもしれません

主な展示資料



土偶
 縄文時代の土でできた人形です。立体的な形を持つものが有名ですが、最初はこのように板のような形をしていました。女性の姿を表現したものが多く、安産祈願など呪術的な意味合いを持つ道具であったといわれています。
磨製石斧
 旧石器時代にはつくりのあらい打製石器が使われていましたが、縄文時代(新石器時代)に入ると、表面をきれいに磨いた石器、いわゆる磨製石器が使われるようになりました。この石斧には柄が付けられ、木を伐る時などに使用されました。
大型石包丁
 通常の約1.5倍の大きさを持つ、珍しい石包丁です。通常の石包丁と比べてみると、形も大きく異なることがわかります。田地を耕したり、雑草を取り除いたりするのに使われたと考えられています。
弥生土器(壺)
 弥生時代になると、新しい土器が登場します。弥生土器と呼ばれるこの器は、薄手で飾りの少ないシンプルな作りとなっています。煮炊き用の甕・盛りつけ用の鉢や高坏・貯蔵用の壺など、使う目的によってそれぞれ違う形のものが作られるようになりました。 
銅鏡(※県指定文化財)
 古墳時代前期から中期の古墳で多く見つかります。鏡は不思議な力を秘めているといわれ、まじないや占いの力で人々を統治(とうち)するために使われたとみられています。中国から持ちこまれたものと、それをまねて日本国内で作られたものがあります。この銅鏡は柳井市柳井茶臼山古墳から出土したものです。
短甲

 主に古墳時代に用いられたよろいの一種です。いくつかのパーツを組み合わせて固定し、腰から上の胴体部分を保護しました。 この短甲は山口市の天神山古墳内部より見つかりましたが、首の周りを保護する頸甲や肩と上腕部を保護する肩甲などとともに発掘され、よろいのほぼ全体がそろう全国でも珍しい一品です。武具とともに見つかったことから、葬られた人物は軍事力を持った支配者であったと思われます。  全国各地でこれと同じタイプのものが発掘されており、古墳に葬られた人物がヤマト政権からもらったものではないかと考えられています。当時の山口市周辺が、古墳時代に近畿地方で強大な権力を誇っていたヤマト政権の支配下にあったことが想像されます。

考古展示室

特集展示 長州藩幕末維新関係資料

 幕末の日本を大きく揺るがした黒船の来航は、本州の西端に位置する長州藩にも大きな衝撃を与えました。領国の三方を海に囲まれ、日本海に面する萩に城下町を置く長州藩にとって、まさしく海防は急務の課題でした。長州藩の兵学者・吉田松陰(寅次郎)を強く突き動かしたのは、この未曾有の国難に対する、強烈な危機感と使命感でした。
 長州藩は、幕末の難局を乗り越え、やがて明治維新の一翼を担うことになりますが、それを支えたのは強い志を持った多くの人材であり、その背景には、私塾「松下村塾」の存在がありました。
 塾生たちは、当時の我が国と藩が直面する様々な課題に対して、正面から取り組み、徹底した議論と勇気ある行動、多くの苦悩と経験を積み重ねて成長し、維新達成に大きな役割を果たしました。
 来る明治150年に向けて、館蔵の幕末維新関係資料を順次展示してまいります。

♯01:平成28年7月15日〜10月30日 /♯02:平成28年11月1日〜平成29年3月26日




主な展示資料


平成28年11月1日(金)〜平成29年3月26日(日) 
※会期中、一部展示替えを行う場合があります。

萩御城下絵図

幕末期 
山口県立山口博物館

 城下町萩は阿武川の分流、松本川と橋本川に囲まれた三角州上に位置する。 図の左上に萩城地の指月山が、中央に嘉永2年(1849)に拡張移転した藩校明倫館が見える。右上には、安政2年(1855)4月に開通した姥倉運河が描かれている。田畠や社寺地、屋敷地などが色分けされ、藩士の居住地も細かに記されるなど、幕末期の萩城下の様子がよくうかがえる。




                           

毛利敬親像

明治時代 
狩野善信筆 
山口県立山口博物館

 毛利敬親(1819−71)は、長州藩13代藩主。幼名猷之進。名は慶親、のちに敬親と改めた。諡から忠正公と称される。天保8年(1837)4月家督を継ぎ、激動期の藩政を担った。明治2年(1869)1月、薩摩・土佐・肥前の藩主と共に版籍奉還を上表し、家督を世子元徳に譲って隠居した。明治4年(1871)3月、山口で死去。墓は、山口香山墓所(国史跡「旧萩藩主毛利家墓所」)。




                           

毛利元徳像

明治時代 
狩野善信筆 
山口県立山口博物館

 毛利元徳(広封、定広、1839-96)は、支藩の徳山藩毛利広鎮の10男。安政元年(1854)、毛利敬親の世子となった。諡から忠愛公と称される。明治2年(1869)家督相続後は、山口藩知事、貴族院議員を務めた。墓は、山口市の香山墓所(国史跡「萩藩主毛利家墓所」)。

 




                           

河上弥市像

原図・沢宣嘉画・賛/昭和10年赤沢松琴模写
山口県立山口博物館

 河上弥市(1843−63)は長州藩士。名は繁義、正義。通称は松之助、弥一郎。変名は南八郎。
 文久3年(1863)6月、高杉晋作の組織した奇兵隊の2代目総督となる。同年10月、筑前(福岡県)の浪士平野国臣らと攘夷派の公家沢宣嘉を擁して但馬(兵庫県)の生野で挙兵したが、敗走して自刃。享年21歳。





                   

木戸孝允像

明治時代

洋装の木戸孝允像

 明治5年(1872)、木戸孝允(桂小五郎、1833−77)が岩倉使節団としてロンドン滞在中に撮影した写真をもとにした作品と思われます。作者不詳ですが、英国の画家の作品とも考えられます。木戸家伝来品。










                                      
周布政之助像

長州藩の政治指導者周布政之助

 周布政之助(1823−64)は長州藩大組士。名は兼翼(かねすけ)、字は公輔、号は観山。のちに麻田公輔と改名。村田清風の薫陶を受けて藩政改革に取り組み、保守派と政争を繰り広げたのちに実権を握りました。松陰や高杉ほか門下生のよき理解者で、伊藤博文らの密航留学(長州ファイブ)にも尽力しました。激動の時局に対応する中、文久3年(1863)8月18日の政変、元治元年(1864)禁門の変(蛤御門の変)、第一次長州出兵と相次ぐ情勢悪化によって追い込まれ、寓居先の山口・吉富家で自刃しました。





                                           
周布政之助七絶詩書

文久元年(1861)4月
山口県立山口博物館

 文久元年(1861)4月、下関地方に海防視察に出かけた時の詩。麻田(公輔)は、周布の変名。周布家伝来資料。





                                           
七卿落今様歌

文久3年(1863)
山口県立山口博物館

 文久3年(1863)年8月18日の政変により、長州藩は御所の警備を解かれ、尊王攘夷派の三条実美ら7人の公卿は失脚し、京都を追放された。この七卿落ちの随行者であった久坂玄瑞が、その時の情景を歌った今様歌(七五調の歌)である。
 「ふりしく雨の絶間なく なみたにそてのぬれはてて」という哀感に満ちた一節で知られるこの歌は、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の七卿落ちの場面にも登場している。





                                           
山県有朋写真

慶応3年(1867)5月18日、内田九一撮影

若き日の山県有朋

 山県有朋(1838−1922)は萩出身。父は長州藩中間山県有稔。通称は小助、狂介。号は素狂、含雪。21歳で松下村塾に入塾し、尊攘運動に奔走。奇兵隊軍監となりました。下関戦争で四国連合艦隊と交戦し、幕長戦争(四境戦争)では小倉口に戦うなど軍事面で活躍しました。写真は大阪心斎橋で撮影したものです。木戸家伝来品。







                  

幕長戦争の戦闘状況を伝える版画(パネル)

  幕長戦争の戦闘状況を伝える版画

 慶応2年(1866)6月7日、幕府軍艦は長州藩領の熊毛半島先端と周防大島を砲撃し、幕長戦争(四境戦争)が開戦しました。これら4枚は、戦闘の模様を幕府側の視点から描いた版画で、江戸で製版されたものと考えられます。






             四境戦争図(大島口) 大島ぐんの図絵     慶応2年(1866)

 










             四境戦争図(芸州口) 陰徳太平記新板     慶応2年(1866)
 










             四境戦争図(石州口) 石州口周布之合戦    慶応2年(1866)
 










              四境戦争図(小倉口) 九州小倉合戦図     慶応2年(1866)
ミニエー銃

幕末期
山口県立山口博物館

 ミニエー銃は、前装式ライフル歩兵銃の一種。1849年にフランス陸軍のミニエー大尉によって開発された。銃身にライフリングを刻みこんだもので、従来使用されていたゲベール銃に比べて、飛距離と命中精度が飛躍的に向上した。 長州藩の兵学者・大村益次郎は、軍制改革としてミニエー銃への転換に力を入れた。慶応元年(1865)、井上馨・伊藤博文は、薩摩藩などの協力を得て、イギリス商人グラバーからミニエー銃およそ4000挺を購入している。





                                           
吉田松陰肖像

明治時代
田総百山
山口県立山口博物館

 萩出身の日本画家田(た)総(ぶさ)百山が描いた松陰の肖像。田総は、明治5年(1872)生。名は百合之助。森寛斎・橋本雅邦に師事。山口県立萩高等学校教諭を務めた。 本図は、松下村塾における講義中の姿を描いたものか。





                                           
随園詩話補遺 巻三

安政4年(1859)11月5日
吉田松陰
山口県立山口博物館

 安政4年(1859)11月5日、松陰が高杉晋作に書き与えたものである。 まさしく同日は、杉家の宅地内にある小舎を補修し、「松下村塾」が開塾した日であった。 『随園詩話補遺』は、清の文人・衰枚(号、随園)の著作。序は、松陰と交流のあった讃岐国(香川県)の志士・日柳燕石が記している。 木戸家伝来資料。





                                           

コーナー展示 「初公開!周布政之助資料」

 明治150年に向けて、館蔵の明治維新関係資料を順次展示していきます。今回は、周布家から新たに寄託を受けた幕末長州藩の政治指導者・周布政之助の資料を紹介します。
 周布政之助夫人・千代肖像、政之助愛用の調度品など、初公開資料13点を含む16点を展示しています。

1 会期    平成29年1月24日(火)〜3月26日(日)
         9:00〜16:30(入館は16:00まで。月曜休館)
2 会場    山口県立山口博物館 歴史常設展示室(松下村塾コーナー)
3 主催    山口県立山口博物館
4 観覧料  常設展観覧料に含む(一般150円、学生100円)
         *70歳以上、19歳未満の方及び高等学校・中等教育学校・総合支援学校(特別支援学校)等
            に在学する生徒は無料

5 出品点数 16点(会期中、作品保護のため一部展示替えを行う場合があります)

解説シートも準備しております。詳しくはこちらをご覧ください。






主な展示資料

周布政之助夫人・千代肖像

昭和戦前期
油彩・カンバス  1面 

 周布千代は、前妻・小梅の死去にともない、嘉永2年(1849)6月入嫁。男爵周布公平(貴族院議員、兵庫県知事、神奈川県知事)の生母となる。本像は、「周布政之助肖像」(当館蔵、常設展展示中)とセットで描かれたもの。







                           

御盃

安政6年12月藩主より拝領
政之助直筆箱書  1口 
 

 安政6年(1860)12月16日、藩主毛利敬親が、左近衛権中将に昇進した際、祝宴の席で拝領したもの。蓋裏に周布政之助自筆の箱書きがある。







                           

周布政之助写真

文久2年
ガラス、アンブロタイプ(パネル)  1枚 
 

 左が周布政之助、右は長州藩医長野昌英。京都屋敷で撮影されたもの。包紙に「文久二壬戌年、於京師河原町邸内、長野昌永(英)世話ニて写之、大津唯雪、明治十六年八月観之」との墨書がある。大津唯雪は、村田清風の次男。
 アンブロタイプとは、ガラス板に乳剤を塗布し、塗布面に像を形成させて、実際には乳剤の塗られていない面の方から画像を見るという形式の写真。

 




                           

周布家家族写真

明治10年代後半〜同20年代前半
鶏卵紙、東京九段坂・鈴木真一撮影(パネル)  1枚


 前列中央が周布千代。向かって右隣の少年が長男の周布公平。





                   

 

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